○スーパー(夕)
今日も一日の仕事が終わった。
常連のおばあちゃんに少し肌が荒れていると言われたのは、少し悲しい。
きっと、ストレスだ。
事務所へ行き、タイムカードをきる。
満木彩女
「お疲れ様でした~」
事務所には、店長と副店長がいた。
店長は私がバイトに入った当初は副店長で、すぐに隣町の店舗に異動となったのだが、去年から昇進して店長として戻ってきた。
ちなみに、副店長は店長の代わりに異動してきた人だ。
店長
「お疲れ様、満木ちゃん」
副店長
「お疲れ、満木。あ、明後日なんだけど夕方から入れるか?」
満木彩女
「え? ああ、大丈夫ですよ」
副店長
「日南田が法事で来られないみたいで、代理を探していたところなんだよ」
満木彩女
「え、日南田ちゃんが? 了解です。その分、別の日に休みくださいね!」
店長
「もちろんだよ」
副店長
「おー。それじゃあ、明後日な」
私は店長と副店長に別れを告げ、事務所から出る。
すぐそこにある休憩所で着替え、バックヤードから店内に出ると買い物を始めた。
(うーん、今日の夕飯はどうしよう)
昨日の夕飯は白身魚のフライとオニオンスープにサラダ。
今日は豚肉が安いし、生姜焼きでも作ろうか……。
精肉コーナーで特売の豚肉を取り、カゴに入れたところで品出しをしていたバイトの椎名君に話しかけられた。
椎名夏樹
「満木さん、お疲れ様です」
満木彩女
「あ、お疲れ。椎名君」
椎名夏樹
「今日は、生姜焼きか何か作るんですか?」
満木彩女
「うん。今日は生姜焼きの予定だよ」
椎名夏樹
「へぇ……! 満木さんの作る料理、とっても美味しいって高校生組から聞いてますよ」
一緒にレジの仕事をしているバイトの高校生の子達とは、土日の休憩時間がたまたま被った時に弁当に入っているものを交換した事がある。
その時の事でも聞いたのだろう。
満木彩女
「あはは。美味しいって言ってくれるなら、嬉しいなぁ」
椎名夏樹
「それに、あ……」
満木彩女
「あ?」
椎名君が言葉を途中で切るなんてめずらしい。
椎名夏樹
「アイツ……、じゃなくて日南田も満木さんみたいに料理が上手くなりたいって言ってましたよ」
満木彩女
「えっ、日南田さん。十分、上手いと思うけど……」
彼女は高校生の頃、隣町の農業高校の食品科学科で色々学んでいた。
ヘルシーな弁当を作る大会とかなんとかで入賞したとか、そんな話も聞いた事がある。
だから、素人の私よりも断然料理が上手いと思うのだが……。
椎名夏樹
「あー。日南田はどちらかと言えば、ご飯系よりもケーキとかの方が得意らしいんで……」
満木彩女
「そっかぁ。まあ、良いや。それじゃあ、頑張ってね~」
椎名夏樹
「はーい」
椎名君と分かれ、必要なものをカゴに入れていく。
椎名君は良い子だ。
大学生だから、良い子って言うのもどうかと思うのだけれど……。
同じ苗字を持つ彼と、比べようにならない。
○玄関(夜)
満木彩女
「ただいま」
買い物を終えて玄関を開けると、彼の靴があった。
(もう帰って来たのか……)
(いつもより、早いな)
――水の音が聞こえる。
彼は、シャワーでも浴びているのだろう。
(ああああ、どうして私が! アイツの後に風呂に入らなきゃいけないの!?)
(ここは、私の家なのに!)
ああ、でも今は……シェアハウスだから私だけの家じゃない。
そんな事は分かってる。
でも、イラつくものはイラつくのだから仕様がない。
○キッチン(夜)
買ってきたものを片付け、夕飯の準備をしていると……彼がやってきた。
椎名逸希
「お帰り、満木。帰ってたんだな」
満木彩女
「……今日は、早かったみたいだね」
椎名逸希
「ん? ああ、これと言って大きなミスも出なかったからな」
そう言って、彼はリビングへと消えていった。
ソファに座って、いつものように本を読むのだろう。
(本当、昔から読書が好きだっ……。ああ、思い出しちゃった)
(最悪)
私は手早く夕飯の準備を終え、彼の分だけ用意して先に食べるように言った。
いつもの事だから、彼も気にしないだろう。
一緒に住む事になった日から、私達は一緒に食事を囲んで食べた事はないのだから……。
○ファミリーレストラン(昼)
彼との生活に耐えかねた私は、親友の志緒里と隣町のファミレスで待ち合わせをしていた。
もちろん、私の愚痴を聞いてもらうためだ。
幸山志緒里
「それで、アンタは私になんて言ってもらいたいわけ?」
満木彩女
「志緒里ぃ~」
相変わらず、志緒里は冷たい。
冷たいというよりも、自分には関係のない事だと割り切っているからこその態度かもしれない。
幸山志緒里
「そんな顔で見られても、困るんだけど」
満木彩女
「そう言わずにさぁ……、親友の愚痴ぐらい付き合ってくれたって良いじゃん」
幸山志緒里
「毎日、メールやら電話やらで聞いてやってる私に――これ以上、何を聞けと言うの」
志緒里は、呆れた、とでも言うような顔で私を見ていた。
満木彩女
「だって……」
(志緒里には申し訳ないと思っているけど……)
幸山志緒里
「だって、じゃないわよ。何回、その言葉は聞いたと思ってるの」
(だって、仕方ないじゃん)
志緒里は、私が彼を嫌っている理由を知っている唯一の親友だからだ。
私が彼を嫌う事になった事件を、志緒里だけが知っている。
幸山志緒里
「彩女。アンタがどんな態度をアイツに取ろうが、私には関係のない事だけど……」
「いい加減、アイツとの生活に慣れなさい」
「1ヶ月も一緒に住んでおいて、毎日ご飯の時間をずらしてるとか、意味が分からない」
志緒里の言い分は最もだ。
私だって、一緒に食べた方が片付けの効率も良いって分かってる。
でも、嫌だ。
彼と一緒の空間にいる事が、耐えられない。
満木彩女
「……うぅ」
幸山志緒里
「はぁ……。アンタねぇ、あの時の事……まだ気にしてるわけ?」
「アイツがアンタがくれたものを捨てるなんて、ありえないんだって」
志緒里の言葉は、まるで針のように鋭く私の心を刺した。
満木彩女
「だって、見たんだよ!?」
「私があげたものを、ゴミ箱に捨てようとしたところを!」
思わず、大きな声が出てしまった。
すぐ近くに、まさか――彼がいるとも知らずに……。
椎名逸希
「満木……?」
満木彩女
「えっ……」
彼の声が聞こえた方向を見ると、めずらしく彼が顔色を変えていた。
家にいる時、全くと言って表情を変える事のなかった彼が……。
幸山志緒里
「あっちゃぁ……」
志緒里が何か言ったような気がした。
彼はそのまま、一緒にいた誰か――多分、同僚だろう――と一緒に店内から出ていった。
なんとなく、居心地が悪くなって……。
幸山志緒里
「ちょっと場所を変えるわよ」
帰ろうとすると、志緒里に手を引かれ店内から出た。
支払いは、志緒里がやってくれた。
(ああ、志緒里のお世話になってばかりだなぁ……)
○リビング(昼)
志緒里に連れられてやってきたのは、私の家だった。
私の鞄の中から慣れたように鍵を取り出し、玄関を開ける。
――彼の靴はない。
まだ、昼だから帰っては来ないだろう。
幸山志緒里
「アンタ、発言にはもうちょっと気をつけなさい」
満木彩女
「うん。ファミレスで大声だしちゃって、ごめんね」
幸山志緒里
「ち・が・う!!」
リビングへと向かう途中、志緒里に謝ると、もの凄い形相で睨まれた。
(怖い……)
志緒里がこんなに怒ったのは、いつ以来だろうか。
上司に嫌味を言われたと相談された時も、こんなには怒っていなかった。
むしろ、私の方が怒りだしてしまったぐらいだ。
リビングにつくと、テーブルをはさんで向かい合うようにソファに座った。
幸山志緒里
「はぁ……」
「アンタ、その猪突猛進具合どうにかしなよ」
「そのせいで、高校の時の彼氏と何度喧嘩したと思ってるの」
そう言われると、弱い。
満木彩女
「うっ……。それは、あっちが浮気するから……」
幸山志緒里
「あれは浮気じゃなくて、アンタの誕生日プレゼントを選ぶためのアドバイスをもらうためにお姉さんに手伝ってもらっていただけでしょ」
満木彩女
「そ、それに……後輩と一緒に帰ってたし……」
幸山志緒里
「あの子は部活のマネージャーで、別の学校に彼氏がいたし、あの日は不審者情報が入っていたから集団下校だったじゃない」
「本当、アンタって周りの事がちゃんと見えてないわね」
志緒里の言葉が痛いが、それは本当の事だからだ。
私は昔から、好きになったら一直線で周りが気にならなくなるというか、見えなくなってしまう。
高校生の時にできた彼氏は、そんな私の性格を理解してくれていたが――大学に進学すると自然に連絡を取る事もなくなっていた。
(きっと、私の事……面倒くさい奴だと思ってたんだろうなぁ)
けれど、その時の事とあの時――彼の事は違うだろう。
幸山志緒里
「あの時も、アンタ……私の言う事を全く聞かなかったから覚えてないだろうけど……」
「アンタのチョコをゴミ箱に捨てたのは、アイツ――椎名逸希じゃなくて、アイツの部活仲間達よ」
(えっ……)
満木彩女
「嘘……」
突然の事に、頭がついていかない。
幸山志緒里
「嘘じゃないわよ」
「本当、聞いてないし覚えてもいなかったのか……」
心底呆れたとでもいうような顔で、志緒里が私を見ていた。
(そんな……)
(だって、じゃあ……)
「なんで、アイツは……椎名君はゴミ箱の前にいたの」
私が志緒里に尋ねれば、志緒里は笑って言った。
幸山志緒里
「それは、自分で確かめなさい」
「どうしてアイツが、自分の事を嫌っているアンタと……一緒に住んでるんだと思う?」
○リビング(夜)
志緒里は、明日も仕事があると言って帰っていってしまった。
私はただ、呆然とソファの上で膝を抱えていた。
本当に、彼は――私があげたチョコをゴミ箱に捨てようとしていなかったのだろうか。
(帰ってきたら、確かめないと……)
(もし、もしも)
(本当に私の勘違いだったら、謝らないと)
(あの時の事も、今までの事も……)
私は彼に謝らないといけない事が、話さないといけない事がたくさんある。
(夕飯、作ろう……)
今日は、彼の好物のグラタンを作ろう。
そして、一緒に……ご飯を食べてみよう。
(椎名君、早く帰ってくると……良いな)
しかし、その日……日付が変わっても彼が帰ってくる事はなかった。