○リビング(朝)
満木彩女
「ん……、朝か」
「……いつの間に寝ちゃったんだろう」
気づけば、日が昇っていた。
――彼は、帰ってきていないようだ。
(もしかして、ファミレスで私があんな事を言ってしまったから……)
(帰ってこなかったのかな?)
満木彩女
「とにかく、朝食の準備をしよう」
そして、彼の帰りを待とう。
私は、彼から直接……あの時の話を聞かなければならない。
だって、この状況は私が作り出したようなものだから……。
満木彩女
「帰ってきたら、謝らないとなぁ」
○リビング(昼)
シャワーを浴び、トーストとコーヒーでお腹を満たした後、洗濯物を片付けたりしていると……いつの間にか午後になっていた。
鍵の開く音が、した。
やっと、彼が帰ってきたのだ。
椎名逸希
「えっと……」
満木彩女
「お帰りなさい」
椎名逸希
「ただいま?」
彼は、私が話しかけた事が珍しいようで、目を見開いていた。
相変わらず、失礼なヤツだ。
満木彩女
「朝帰りなんて、珍しいね」
椎名逸希
「あ、ああ……。あの後、突然本社から呼び出されて、な」
彼は戸惑ったような顔で、私から目をそらした。
どこかで、彼女にでも会ってきたのだろうか。
浮いた話は聞いた事がない……とは言っても、彼からずっと目をそらしていたのは私だ。
彼に彼女がいたとしても、いなかったとしても……私は分からない。
だって、彼を知ろうと思わなかったから。
満木彩女
「そっか……」
椎名逸希
「……満木、もしかして体調が悪いのか?」
満木彩女
「ううん、違う」
椎名逸希
「そう、か。それなら良かった」
彼は心配そうに私を見ている。
椎名逸希
「ごめん、な……」
彼が、急に謝りだした。
驚いて彼を見ると、視線が合った。
椎名逸希
「ははっ、急に謝っても分からないよな」
「……あの時。中3の時の事、謝らせてほしい」
「満木に誤解されたままでいるのは、もう嫌なんだ」
(誤解……)
満木彩女
「とりあえず、座って」
(今度はちゃんと、聞くから)
○リビング(昼)
彼が初めてこの家に来た日のように、ソファに向かい合って座る。
こうやって、顔を合わせるのは久しぶりな感じがして、少し恥ずかしさを感じる。
満木彩女
「まず、私に謝らせてほしいんだ」
椎名逸希
「満木が?」
満木彩女
「うん。私が、椎名君の話も志緒里の話も聞かなかったせいでこうなっちゃったから……」
椎名逸希
「それは違っ」
満木彩女
「私が! わ、私は思い込んだら一直線に進んじゃうから……」
「よく考えれば、椎名君があんな事をするはずないし、あの時に解決しておけば椎名君にこの家で居心地の悪い思いをさせる事なんてなかった!」
思わず、言葉がこぼれていく。
私は、彼の話を聞くつもりだったのに……いつの間にか、私の話になってしまっていた。
深呼吸をして、心を落ちつける。
満木彩女
「ごめんなさい。あの時、ちゃんと椎名君の話を聞かないで……ずっと勘違いしたままで」
頭を下げると、椎名君は困ったように笑った。
椎名逸希
「うん。ありがとう、満木」
(あっ……)
彼が笑った顔を、久しぶりに見た気がする。
中学生以来の、椎名君の笑顔だ……。
椎名逸希
「じゃあ、次は俺の話だな」
「あの日、満木からチョコをもらった時は言えなかったけど……嬉しかった」
(えっ!)
驚いて彼を見ると、照れているように見える。
彼がこんな表情をするなんて、知らなかった。
ずっと、ずっと・・・・・・。
椎名逸希
「俺、小学生の頃から満木の事が好きだったんだ」
「それを部活仲間の奴等が知っててさ……」
「たまたま、満木にチョコをもらったところを見られていて、教室に帰ったら奪われた」
満木彩女
「そんな……」
椎名逸希
「俺がちゃんと取り返す事ができれば良かったんだけど、2人がかりで足止めされて、チョコはどこかの教室に隠したときた」
「あの時ほど、部活仲間とはいえ怒った事はない」
彼はあの日の事を思い出したのか、怒っているように見える。
まあ、悪ふざけとはいえ……そこまでの事をされたら誰でも怒るだろう。
椎名逸希
「必死で探して、ようやく見つけたと思ったらゴミ箱の中に置いてあって――親御さんにアイツ等のやった事を伝えてやろうと考えていたら、満木がいた」
勘違いしたまま、志緒里の話を耳に入れなかった私も悪いけれど、元凶は彼の友達だという事が判明した。
なんというか、彼に向けていた今までの怒りはどこへやら……という感じだ。
満木彩女
「……委員会の帰りだったの」
椎名逸希
「なるほどな」
そして、しばらく会話が途切れた。
なにか言わなければいけなような気がしたが、なにを言って良いのか全く分からない。
謝罪はした。
けれど、他になにを言えば良いのだろう?
椎名逸希
「ごめん」
悩んでいると、彼がぽつりとこぼした。
彼と視線を合わせると、悲しそうな顔をしていた。
椎名逸希
「あの時、満木に言われた言葉がつらくて弁解する事もできなかった。満木にチョコをもらった事が嬉しかったのに、なにも言えなくて……。本当、後悔してる。あの時、満木に俺の想いを伝えておけば良かったって」
(椎名君の想い……)
どこか、期待してしまった。
でも、もう私も彼も良い年だ。
私と同居しているからといって、中学生の頃に私を好きだったからといって、今も好きとは限らない。
満木彩女
「うん、話してくれてありがとう」
椎名逸希
「満木も、ありがとう」
(これでようやく、普通の生活に戻れる)
彼がこの家を出ていく日まで、穏やかな日々になるだろう。
そう思っていたら、彼が――。
椎名逸希
「あの時は言えなかったけど、改めて言わせてくれ」
突然、そう言った。
なにを、言うつもりなのだろうか……。
椎名逸希
「誤解とはいえ、これまでずっと誤解を解けなかった俺が言うのもなにだけれど……」
「満木彩女さん。俺は、あの時からずっと――貴女の事が好きです」
満木彩女
「……へ?」
あまりの衝撃に、頭が真っ白になった。
彼は、なにを言っているのだろう。
あの時からずっとだなんて……。
満木彩女
「嘘!?」
椎名逸希
「嘘じゃない。高校に入ってから、満木に彼氏ができたと聞いて、あきらめて彼女を作ってみたが駄目だった」
「いつも、満木ならどんな反応をするか考えてしまって……」
「一度も長続きした事がない」
(えっ、ちょ……えっ!?)
(ほ、本気で言ってるのこの人!!)
彼は照れくさそうに、頬をかく。
(ちょっと待って。ちょっと待って!)
(こ、こんな顔できるんだ!?)
(いや、そうじゃない。違うんだ私)
思わぬ発見に、心からキュンという死語のような音が聞こえた気がする。
なにか、ときめきを感じたような……。
椎名逸希
「ただ、伝えたかっただけだから、そこまで悩まなくても良い」
「満木が今、付き合っている相手がいないところを狙って言うのは――少しずるかったな」
(ちょっと待って)
(なんで、そんな事知ってるの!?)
彼を見ると、ただただ照れくさそうに笑っているだけだった。
別のクラスの子に告白された時だって、そんな顔をした事なんてなかったのに……。
(大嫌い)
(……だったはずなんだけどなぁ)
クスリと笑みをこぼす。
満木彩女
「あのね、私――椎名君の事が好きだった」
「中学生の頃、同じ委員会になった時に手伝ってくれたり、体調が悪い時に無理するなって言ってくれたりする椎名君が好きだった」
椎名逸希
「おう」
彼は少し、悲しそうな声でそう言った。
満木彩女
「あの日から、ほんの昨日まで……椎名君が大嫌いだった」
椎名逸希
「それはもう、空気が凄かったからな」
満木彩女
「うん」
(でも、でもね……)
ひとつ、深呼吸をして――。
満木彩女
「私を好きって言ってくれて、ありがとう」
「正直、昨日の今日だからよく分からないんだけど……」
「今日から、いろいろお互いについて知っていかない?」
彼は驚いたように、私を見た。
ぽかりと開いた口が、どこかまぬけだ。
満木彩女
「中学を卒業してから、今までの椎名君を私は知らないから……」
「教えてほしいな」
椎名逸希
「え、でも……」
満木彩女
「私の事も、たくさん話すよ」
「まあ、特にこれといった話もないんだけどさ……」
「いろんな事を知って、それからじゃ駄目かな」
「――告白の返事」
彼は一瞬理解できなかったようで、私の言葉を反復して……顔を真っ赤に染めた。
○スーパー(夜)
今日も、一日の仕事が終わった。
常連のタクシーの運転手さんに、最近綺麗になったと言われてとても嬉しい。
夕飯の食材を選んでいると、椎名君が見えた。
満木彩女
「お疲れ様~、椎名君」
椎名夏樹
「お疲れ様です。満木さん、最近ごきげんですね」
満木彩女
「え、そうかな?」
椎名夏樹
「そうですよ」
「もしかして、逸希君と仲良くなったとか?」
満木彩女
「うん、そうそう。逸希君と……って、えっ!?」
どうして、椎名君が彼の名前を知っているのだろうか。
名字が同じだけの赤の他人だと思っていたのに……、もしかして。
椎名夏樹
「あれ? もしかして気づいていなかったんですか」
「逸希君、俺の兄貴なんですよ」
満木彩女
「知らなかった……」
椎名夏樹
「ははっ! まじか」
「いやぁ……、本当に逸希君の事が嫌いだったんですね」
満木彩女
「うっ……。それは言わないで」
椎名夏樹
「じゃあ、ここのところ機嫌の悪い日が多かった原因は逸希君だったのか」
「でも、良かった」
「逸希君、ずっと満木さんに片思いしてたから」
椎名君は、バイトをする前から私の事を知っていたそうだ。
彼の部活仲間が情報源のようなので、帰ったら彼に伝えておこう。
椎名夏樹
「満木さんが逸希君と結婚したら、満木さんが俺のお姉さんかぁ……」
「美味しいご飯、食べさせてくださいね」
満木彩女
「そこまでの関係にはなってないんだけどなぁ……」
「でも、精一杯頑張るよ」
「美味しいご飯のために」
椎名夏樹
「期待してますね!」
「それじゃあ、また明日」
○玄関(夜)
満木彩女
「ただいま~」
特売品が多く、少し買いすぎてしまった。
どうにかこうにか家の中に入ると、美味しそうな匂いがした。
椎名逸希
「お帰り、彩女」
満木彩女
「ただいま、逸希君」
椎名逸希
「結構買ったな」
そう言って、食材の入った大きな袋を2つとも軽々持つ彼はとても頼りになる存在だ。
一人暮らしなら、ここまでたくさん買い物をする事はなかっただろうけれど……家に誰かがいてくれるというのはとても嬉しい。
(ああ、良いなぁ)
椎名逸希
「彩女、どうかしたのか?」
満木彩女
「ううん。なにでもないよ」
「今日の夕飯はなにかな~」
彼と並んで、リビングへと向かう。
椎名逸希
「今日は煮物だ」
それは彼の得意料理だった。
彼の作る煮物は、どこか懐かしい味がするのだが、それはお母さんに作り方を教えてもらったからだと言う。
正直、私の作る煮物よりも美味しい。
満木彩女
「逸希君の作る煮物、美味しくて好きなんだよね~」
椎名逸希
「ありがとう。俺の事も好きになってくれると嬉しいな」
満木彩女
「もちろん」
「もっと貴方の事を私に教えてね」
そう答えると、彼は笑って、私の唇にひとつキスを落とした。
END
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