リンゴ虫と白雪姫

 真白の国には、白雪姫と呼ばれるお姫様がおりました。雪のように白い肌、黒檀のように黒い豊かな髪、血のように赤く染まる頬、唇――そして瞳をもった可憐な少女です。
 そんな彼女には、友達が一匹しかおりません。一人ではなく、一匹です。これは大切なことですよ。
 彼の名前はリンゴ虫。ある日、白雪姫が食べていたリンゴの中から現れた緑色の虫です。世間では、青虫と呼ばれることもありますね。

「ねーねー、お姫ー。そのリンゴ食べてもいいー?」
「いいけど、さっき食べ終わったばっかりよね」
「うん! でも、お腹空いてるからもっと食べたいなー!」

 ここは翡翠の樹海の一角にある小屋。近くには鉱山があり、この小屋の元々の住人である七人のこびとたちは、今日も元気に鉱石を掘りに行っています。
 さて、なぜ真白の国のお姫様である白雪姫がこのような小屋にいると思いますか?
 理由は簡単。白雪姫を産んですぐに亡くなった母、お妃様の代わりに新しくお妃様となった女性に白雪姫はたいそう嫌われており、つい最近殺されかけたのです。そこで白雪姫は、殺されてはいけないと思い、リンゴ虫とともに真白の国と青海の国の間に広がる翡翠の樹海に逃げ込んだら、現在小屋を留守にしている七人のこびとと出会って保護されたというわけです。

「リンゴ虫」
「なーにー?」

 白雪姫が名前を呼ぶと、リンゴ虫は白雪姫から渡されたばかりのリンゴをシャクシャクと食べながら、白雪姫に視線を向けました。

「毎日、いったいどれだけのリンゴを食べればすむのかしら。あなたのお腹は」
「んー? そうだなあ、前にも言ったけれどたくさんだね! たっくさん食べたらお腹がいっぱい!」
「……私、あなたがお腹いっぱいになった姿を見たことがないのだけれど……」
「あれ、そうだっけ?」
「そうよ」
「そっかー!」

 シャクシャク、シャクシャク。リンゴ虫は好物のリンゴをどんどん食べ進めていきます。白雪姫がリンゴ虫と出会った日から毎日のように目にする光景ではありますが、白雪姫はあきれたようにため息をつきました。
 リンゴ虫と白雪姫が出会ったのは、二年ほど前のことになります。それは丁度、白雪姫の父親である王様と新しいお妃様が婚姻を結ぶ日の前日だったとかなんとか。リンゴ虫と出会ったおかげで白雪姫は一時的に体調を崩してしまい、一国の王女でありながら王様と新しいお妃様の結婚式に参加できなかったため、白雪姫は新しいお妃様――継母に嫌われてしまったのかもしれません。きっと、それ以外にも理由はあるとは思いますが、白雪姫には出会ったばかりの継母に嫌われるようなことをした覚えはないため、それ以外に理由が思い浮かばなかったのです。

「おーいしーいなー!」
「あなたは幸せそうでいいわね」
「うん! おいしいリンゴを毎日たーっくさん食べられて、ボクはとっても幸せだよー! 最高の虫生だね」
「チュウセイって……。でも、なんだかあなたを見ていると私も幸せな気分になってくるわ」
「本当? それは良かったー」
「お継母様にどれだけ嫌われていようと、そんなことはどうでもいいの。ただ、あなたは私の大嫌いなリンゴをどんどん消費して私の目の前から消していってくれるから……。私はあなたと一緒にいることができて幸せよ」
「そっかー。お姫がリンゴ嫌いになった理由はボクにあるのに、お姫は優しいなあ」

 あの日のことは、白雪姫にとってつい先ほどのことのように思い出すことができるほど衝撃的な出会いでした。
 だって、かじったリンゴの中から手の平の乗るほどの大きさをした青虫が現れたのです。かじって口に含んだリンゴの欠片を、声もなくドレスの上に落としてしまうほど驚いた白雪姫は、気づけばベッドの上におりました。驚きのあまり気絶しまったのです。
 後日、乳母から聞いた話では、気づいた時には白雪姫が椅子にもたれて気を失っていたため、何か病気にかかってしまったのではないかと白雪姫が気絶している間、王宮内は上から下まで大わらわだったとか。結婚式の前日でもあったため、そうなってしまうのも仕方ありません。白雪姫が近くに食べかけのリンゴが残っていなかったか尋ねると、乳母は白雪姫が庭師からもらったというリンゴはどこにも見当たらず、食べきってしまっていたと思っていたと言いました。
 これはどういうことでしょう?
 疑問に思った白雪姫ですが、しかし気絶から目覚めたばかりなのでベッドから離れることもできません。そんな時のことでした――、テーブルの上に置かれていたリンゴに白雪姫が嫌悪を感じたのは。
 赤い色、それは己の目と同じ色をしており、元々好む色ではありません。宝石のような瞳だと称されたことはありますが、白雪姫自身がそう感じたことは一度もありません。
 丸い形、それはリンゴの隣にあるナシやオレンジと似たようなもので、特になんとも感じません。……いえ、嘘です。実際はどことなく鳥肌がたつような感じがしたと、白雪姫は言います。
 その味は嫌いではありませんが、もう好きになることはないでしょう。ほのかな甘味を気に入っていたのに、残念なものです。
 しかし、白雪姫はその日からメイドに朝と昼、そして夕の三回。いえ、多い時には五回も六回も王宮の庭に生るリンゴを用意するように言いました。乳母を筆頭にメイドたち、庭師も、白雪姫がここまでリンゴを好んでいただろうかと疑問には思いましたが、用意したリンゴはいつの間にか全て消え失せているため、きっとリンゴが好物なのだろうと気にすることもなく毎日リンゴを白雪姫のもとへ運びました。中には不思議に思い、リンゴをいつ食べているのかと白雪姫に直接尋ねた者もいますが、白雪姫は笑ってごまかすばかりで真相を知るものが誰一人としていません。

「それにしてもリンゴ虫。あなた、最近王宮に行っていたようだけれど、エサはどうしていたの? 食料庫にあるリンゴを食べていたのかしら」
「んぬー? あのねえ、お庭のリンゴの木にお世話になっていたんだよ!」
「あらまあ……。それでは、王宮の庭に生えているリンゴの木に生っているリンゴを食べて生活していたのねえ」
「うん! あと十個ぐらいで完食できたんだよ。凄いでしょ!」
「それはまた、あきれるほどの食欲ねえ」

 白雪姫はリンゴが好きで、毎日何度もリンゴを用意するように言ったわけではありません。白雪姫にとって、リンゴはあの日から嫌悪すべき存在となってしまったからです。
 もし、自分が口をつけたばかりのリンゴから虫がニョロリと現れたらどうしますか?
 恐怖と嫌悪。まさに嫌な気分で埋め尽くされ、どのリンゴを食べても同じように虫が出てくるかもしれないという疑念を抱いてしまうことでしょう。もしかしたら、そのリンゴを用意した者、買った者、育てた者などへとその気持ちをもつこともありえたかもしれません。しかし、白雪姫はリンゴの中から現れた虫でもなく、王宮の庭でリンゴを育てた庭師でもなく、白雪姫の前にリンゴを持ってきた庭師やメイドでもなく、リンゴそのものに嫌悪感を覚えるようになりました。色も、形も、存在も、リンゴというリンゴ。全てが嫌悪の対象です。
 それなのにも関わらず、白雪姫はリンゴを求めました。原因は今現在も白雪姫の目の前でリンゴを吸い込むように食べ進めているリンゴ虫の他にありません。
 リンゴ虫はあの日、白雪姫の口にしたリンゴの中にいた青虫です。どういう原理かは分かりませんが、体をうんと伸ばして細くなり、熟練の庭師でも見抜けないような小さな穴を開けてリンゴの中に忍び込み、中から食べていくことができる不思議な存在でした。
 あの日、気絶から目覚めたばかりの白雪姫がリンゴから視線を離そうとした時、一個のリンゴがみるみる内にその姿を崩して消え去ってしまったのです。それは白雪姫が今まで目にしたことのないもので、驚きのあまり再度気絶するかというその時、目に入ったのは消え去ったリンゴの隣にあるリンゴの上にいる青虫の姿でした。

「でも、残念だなー。どうせなら全部のリンゴを食べてから帰ってきたかったよー」
「帰ってきたかったとは言うけれど、どうやって帰ってくるつもりだったの? あなたはカラスに捕まって、どうにか逃げ出して王宮の庭に隠れたようだけれど……。王宮からここまで、とても遠いことは知っているでしょう?」
「うん、知ってるー。でも、ボクが帰ってこないとお姫は寂しいでしょ? こびとたちはお仕事が忙しくて家にずっといるわけじゃないし、その間はお姫ひとりぼっち! そしてボクはお姫がいないと、おいしいリンゴがたくさん食べられない! つーまーりー、ボクがお姫のそばにいたらお姫は寂しくないし、ボクはおいしいリンゴが食べられてとっても嬉しい! だから、王宮のリンゴを食べ終わったら、そこら辺にいる鳥さんにお願いして帰ってくるつもりだったよ」
「オネガイねぇ……。まあ、無事に帰ってきてくれて嬉しいわ。毒に浸されたリンゴの中で死にかけていたのは驚いたけれど、どちらかと言えばそれでも生きていたということが恐ろしい存在ね。そのおかげで私は毒リンゴを強制的に食べさせられることなく生き残ったのだから良かったのだけれど」
「んふふ~。もっと褒めて! そしてリンゴをちょうだい! もっともっと!」
「あなた病み上がりでしょうに。今日はもう、あと二個で終わりにしないさい。明日はドクが休日と言っていたから、みんなで一緒に果樹の庭でピクニックよ」
「わーい! 果樹の庭に行くんだね。翡翠の樹海で新鮮な果物がたーっくさん食べられる! もちろん、一番はリンゴだけどね!」
「はいはい。けれど、食べ尽くしてはいけないわ。果樹の庭に生えている植物が怒ってしまうもの」
「そこは分かってるう! お姫も大好きなブドウを食べ過ぎてはいけないよー? あ、バッシュフルにもオレンジの食べ過ぎはいけないって言わなきゃ~」
「ええ、そうね」

 リンゴの中から現れたからリンゴ虫と名付けられた青虫は、つい先日、うっかりカラスに捕まって小屋から誘拐されてしまいました。カラスはどうやら真白の国の王宮近くにある林に住んでいたようで、どうにかこうにか逃げ出すことに成功したリンゴ虫が落ちたのは王宮の庭。白雪姫が継母に殺されないように王宮を抜け出してから口にすることができなくなったリンゴが、そこにはありました。
 そして、リンゴ虫が一日をかけて驚異的な速さで綺麗な赤色をしたリンゴだけを食べ尽くそうとした時、リンゴ虫が中に入っているリンゴがぐらりと揺れたのです。それは白雪姫を好物のリンゴで誘き寄せて毒殺を計画していた継母が、そのリンゴを手にしたからでした。リンゴ虫は逃げ出そうかと考えましたが、このままリンゴの中に隠れていればそのまま白雪姫のもとに帰ることができると思い、リンゴの中でじっと静かに息を潜めていました。リンゴが怪しい色をした液体に浸され、おいしいリンゴがおいしくないリンゴに変化したため好物のリンゴが食べられなくても。大好きなリンゴがリンゴと言うには烏滸がましい存在と成り果てても。ただ静かに、白雪姫のもとへ帰るために我慢したのです。
 そのころの白雪姫は、大嫌いなリンゴを消し去ってくれるリンゴ虫がいなくなってしまい、どうしようかと困っていました。七人のこびとたちは、カラスにもう食べられてしまったのではないかと言う者、きっと逃げ延びてどこかでリンゴを食べていると言う者、興味なさげにそのうち帰ってくるのではないかと言う者がいましたが、白雪姫は安心することはできませんでした。何故なら、目の前にリンゴがあるからです。
 リンゴ虫がいなければ、小屋の中にあるリンゴは消えません。七人のこびとたちが食べるにしても、その速さはリンゴ虫に比べれば鈍足。そして許容量もリンゴ虫に比べれば一割程度でしょうか。とにかく、リンゴ虫のために果樹の庭でたくさん摘んだリンゴを小屋の中から消し去るためには、リンゴ虫の存在が不可欠なのです。
 それから白雪姫は、リンゴ虫のいない生活に耐えられず、ついには寝込む寸前といった日のことでした。見知らぬおばあさんが小屋へ尋ねてきたのです。彼女は普段、青海の国でリンゴを販売している農家の女性のようでした。最近、青海の国ではリンゴが豊作だったようで、真白の国でリンゴを売るために翡翠の樹海を横切ろうとした際に、この小屋を見つけたと言うのです。確かに翡翠の樹海は、真白の国と青海の国の間に広がるため、近道として横切るものは少なくありません。しかし、ここは翡翠の樹海の一番奥にある、鉱山で採掘を求める者以外はほとんど立ち寄らない秘密の場所。たまたま見つけるにしても、無理がありました。
 そのおばあさんは、なぜだか白雪姫にリンゴを買うように勧めました。ぼんやりとリンゴを見つめる白雪姫を見て、リンゴが好きだと思ったようです。
 白雪姫は、リンゴならば――口には出しませんがリンゴ虫のために用意した新鮮なものが――たくさん小屋の中にあると言って、おばあさんの勧めを振り切ろうとしました。けれども、おばあさんは諦めずにタダで良いからと、おいしいリンゴを一口食べてみないかと誘います。けれども、白雪姫はリンゴを自分が食べるくらいなら死ぬという考えを持っているので、おばあさんが手にもつリンゴだけではなく、押し売りしようとするおばあさんの存在自体に嫌悪感を覚えるようになりました。
 ――その時です。リンゴの中から、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきました。それは小さく、どこか苦しそうな声でした。おばあさんは耳が遠いので聞こえていないようですが、白雪姫の耳にはしっかりと「お姫」と呼ぶ声が聞こえたのです。
 一転、白雪姫はおばあさんの手にあるリンゴを奪い取り、「タダならば一個もらうわ! ありがとうおばあさん!」と言って開けていた窓を勢いよく閉めて鍵までかけました。おばあさん――に変装した継母は驚きましたが、白雪姫はそのうちリンゴを食べて死ぬだろうと思い、王宮へと帰っていきました。数日後、また森へ向かうことになるとは知りもせずに……。
 白雪姫は慌てながらも、丁寧にナイフでリンゴを半分に切り分けます。ゆっくり、ゆっくり。きっと中に入っているであろうリンゴ虫を傷つけないように。そして、中から現れたのはぐったりと元気をなくしたリンゴ虫の姿でした。白雪姫はすぐさまキッチンに置いてある新鮮なリンゴが入ったカゴの中に、リンゴ虫を入れました。するとどうでしょう。ぐったりとしていたリンゴ虫は徐々に元気を取り戻し、最初はゆっくりと、それから徐々にいつもの速さでリンゴを次々とカゴの中から消し始めたのです。

「ねえ、リンゴ虫。これからも私のためにリンゴを食べてくれる?」
「もっちろん! お姫が死ぬまで、ボクはお姫と一緒にいるよ!」
「うふふ、それなら安心ね」

 翡翠の樹海には、美しいお姫様と七人のこびと。そして、リンゴが好きで好きでたまらない不思議な青虫がおりました。
 
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なろう公式企画「冬の童話祭2018」投稿作品です。

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