第8話 其は天候を操るオカリナなり

 ざあ、ざああ。
 ざあざあ、ざあざあ。
 今日も雨が降っている。

「……はぁ、ただいま」

 両手にたくさんの食料品が入った袋を持ちながら、キャスリーンは疲れたようにつぶやいた。
 玄関で雨靴を脱ぎ捨て、キッチンへ向かう。その途中にある窓から外へ視線を向けると、先程まで降っていた雨はいつものようにあがっていた。

「あー、日差しが出てきた。いいなぁ」

 諦めたような、羨ましそうな顔をしながら、キャスリーンは止まっていた足を動かし始めた。
 キッチンの窓を開けると外から鳥たちの歌う声や、子どもたちの楽しそうな声が聞こえてくる。
 雨が降れば鳥たちは自由に空を飛べないだろう。
 雨が降れば子どもたちは自由に外で遊べないだろう。
 雨が降れば大人たちは洗濯物を干すこともできないだろう。
 雨が降れば草花は綺麗な空を見上げることもできないだろう。
 雨が好きだと言う者もいるが、雨女であるキャスリーンには信じられないことだった。
 幼い頃から建物の外へ一歩出れば、晴天だったはずの空が曇り雨が降ってくる。両親曰く、物心つく前はまだマシだったそうだが、キャスリーンにはその時の記憶がないため本当かどうかは分からない。気づいた頃には、キャスリーンが外へ出れば雨が降る。それが当たり前のこととなっていた。
 ちなみにキャスリーンが雨女だと知っているのは家族と友人たち、そして一部の知り合いだけである。
 家族はキャスリーンと外出する時はいつも雨が降り出すため、そういう個性を持つ子なのだろうと思っていたそうだ。自然界に存在する妖精に気に入られた子が、そういう個性を持つことは珍しいことではない。家族は自身が雨女だと知ってショックを受けるキャスリーンに対して、悲しむことではないと慰めたという。
 友人たちは、雨女であると受け入れることができたキャスリーンから、雨女であることや外へ出ると突然のように雨が振りだすのだと打ち明けられたそうだ。最初は冗談だろうと思っていたようだが、あまりにもタイミングよく雨が降る日々を共に過ごす内に、友人たちもそれが事実であることを受け入れたという。ちなみにそのことで去っていく者は不思議とおらず、友人たちは現在ほぼ引きこもりと化しているキャスリーンを心配して日々連絡を入れているそうだ。

「雨、雨、雨。晴れた空のもとに立つだなんて、夢のまた夢ね」

 また一つ、ため息をついたキャスリーンは青空だけを写した写真で埋め尽くされた天井を見上げた。
 幼い頃から憧れるのは、雨一つ振らない晴れた空のもとで青空を見上げること。屋内からならばいくらでも青空を見ることはできるが、キャスリーンに屋外で青空を見上げた記憶はない。
 外から聞こえてくる子どもたちのように、晴れた空の下で遊んでみたいと何度思っただろうか。しかし、それはキャスリーンが雨を呼ぶ体質である限り叶うことのない願いなのだ。
 ――ジリリリッ。チャイムを鳴らす音が聞こえて来た。
 気分が落ちたままなので無視しようかと思ったキャスリーンだが、扉の向こうから聞こえて来た聞き覚えのある声に気づくと玄関へ向かい扉を開く。
 そこにいたのは、最近フェルトリタ大公国から家族と共に引っ越してきたという少年――吉楽だった。

「今日も来たのね、吉楽くん」
「キャスお姉さん、こんにちは!」
「はい、こんにちは。今日はどうしたの? 買い物から帰ってきたばかりだから、おやつはないわよ?」
「むぅ。今日はおやつが目的で来たわけではありませんよ!」
「そうなの?」
「はい!」

 キャスリーンと初めて出会ったその日から、吉楽はよくキャスリーンの家にやってきた。キャスリーンの作るお菓子が美味しいということも理由だが、雨女であるが故に引きこもってばかりのキャスリーンを心配しての行動だとか。
 最初は毎日のようにお菓子をせがむ図々しい少年だと思っていたキャスリーンも、自分を心配してくれての行動だということを知ってからは吉楽が家にやってくることを受け入れている。

「今日はキャスお姉さんにプレゼントを持ってきたんです」
「プレゼント? 誕生日は来週なんだけど……」
「知ってますよ~。ちょっと早い誕生日プレゼントだと思って下さい!」

 そう言って吉楽がキャスリーンに渡したのは、綺麗にラッピングされた箱だった。それは吉楽の両手に乗る程度の大きさで、重さはほとんどと言っていいほど感じない。

「何が入っているのかしら?」
「開けてからのお楽しみです。それじゃあ、僕はこれから用事があるので失礼しますね! キャスお姉さんの役に立つものを用意したので是非使ってみて下さい!」
「あ、吉楽くん!」

 キャスリーンが声をかけた時には、吉楽の姿はもう玄関先から消えていた。急いで外を確認するがどこにも姿は見えない。家の方を見ても玄関の扉が動いた様子は見えなかったので、どうやら家に帰ったわけではないらしい。

「……はぁ。今日は一段と不思議な子だったなぁ」

 ため息をつきながら手元にある箱を見つめるが、何が入っているのかは全くもって分からない。仕方がないので、キャスリーンはリビングへ行き吉楽からのちょっと早い誕生日プレゼントを開けてみることにした。
 ガサガサと雑にラッピングをはがすと、中から現れたのは飾り気のないシンプルな箱だった。中央に晴れ、雨、曇り、雪の天気を現したような金属製の飾りが埋め込まれているが、それ以外に目立った飾りはない。
 ――パカリ。

「オカリナ……?」

 箱の中に入っていたのは、これまたシンプルで飾り気のないオカリナだった。緩衝材の他に説明書がついているらしい。
 キャスリーンは、とりあえず説明書を見てみようと思い折りたたまれた紙を広げると、中には不思議なことが書かれている。

「天気を自由に変えられるオカリナです。晴れと雨、曇りに雪の曲をそれぞれ吹くと一定の時間吹いた曲の天気に空模様が変わります……? ふふっ、私の役に立つものってそういうことね」

 ――なんて優しい子なのだろうか。
 このオカリナをどこで買ったのか、キャスリーンには見当もつかない。しかし、吉楽がキャスリーンのためにと買ってきたことだけは分かる。
 雨女であるキャスリーンが屋外へ出ると雨が降り、屋内へ入ると雨が止むのは仕方のないことだ。家の中からしか青空を見上げることができないことも、青空の下で生活したいと考えてから晴れた空の写真を天井に貼り付けるようになったのも……。雨女でなければ体験することはできなかっただろう。

「それじゃあ、吹いてみようかな」

 オカリナを手にしたキャスリーンが選んだ曲は――晴れ。
 説明書に書いている通りに指を動かし息を吹き込むと、思ったより簡単に吹くことができる。慣れない指先はもたつくが、それでもゆっくりと音をつむぐことができていた。
 窓の外に広がる空は、心なしか先程より綺麗に見えるような気がする。そして思い立ったキャスリーンが窓を開け、傘を広げながら庭へ足を踏み出すと……。

「え? あれ……?」

 キャスリーンの見上げた先には、雲一つない青空が広がっていた。

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