第16話 其は天に向かう羽なり

「空を飛んでみたいね」
「ねー」
「ぼくたちの背中に羽があったら、どこまでも飛んでいけるのにね」
「そうね」
「苑はどんなところに飛んでいきたい?」
「わたしはお花畑かなー。蒼空は?」
「ぼくは雲の上かなあ」
「どうして?」
「ふわふわの雲を触ってみたいから、だよ。苑は?」
「わたしはたくさんの花を空の上から見てみたいからだよ」
「そっかー」
「そうだよー」

 ルメイ堂の庭に蒼空と苑という名前の双子の姉弟が遊びに来ていた。
 双子の姉弟はルメイ堂の近所に住んでおり、毎日のようにルメイ堂へ遊びに来ては店長におやつを強請っている。そして今日も、双子の姉弟は店長から貰ったマフィンを食べながら、ルメイ堂の庭で空を見上げていた。
 双子の弟、しっかり者の蒼空には夢がある。空に浮かぶ雲の上まで飛び、雲を触るという夢だ。
 双子の姉、のんびりさんの苑には夢がある。空を飛んで上空からお気に入りの花畑を見るという夢だ。
 風の魔法や空を飛ぶための魔術式があれば、双子の姉弟は自由に空を飛ぶことができただろう。しかし、二人はまだ九歳。それらの魔法を使うには技術も知識も足りていなかった。

「ということで、店長さん。簡単に空を飛べるお薬はありませんかー?」
「おやぁ? ついに空を飛ぶ気になったのかい、苑ぉ」
「うん。蒼空が毎日空を飛びたいねーって言うんだけど、わたしたちだけじゃあ飛べないなーと思って」
「あー、苑としては今すぐ飛びたいわけじゃないけれど、蒼空がしつこいからさっさと空を飛ばせようってことかいぃ?」
「そうだよー」

 苑はのんびりとした口調で、頷いた。
 双子の姉弟は弟の蒼空の方がよくしっかり者だと言われているが、実際は姉の苑の方がしっかりしてた正確をしている。
 蒼空は自身の意見を前面に押し出し、苑の代わりに他人と話すことが多い。しかしそれは苑が他人と話すことを面倒に思っているためだ。その分、蒼空は口を開く。まるで自分が苑の面倒を見ているとでもいうように。
 苑の場合はのんびりとした雰囲気とは裏腹に、面倒くさがり屋のうえ気が短い。短気というほどではないのだが、蒼空に比べれば気が短く、問題があればすぐにでも解決しようとするのだ。今回の場合、苑にとっての問題は毎日のように蒼空が「空を飛びたい」と話しかけてくることだった。

「空を飛ぶための魔法や魔術を学べる中等学校に入るまで待てばいい話なんじゃないかなぁ」
「さすがにそこまでは待てないなー。朝から晩までずーっと同じ話をされるんだよー? いいかげんにしてほしい」
「うーん、君の気持ちは分からないこともないんだけどねぇ」
「パパとママから、ルメイ堂で何か買う時は自己責任って言われてるから、何を出してきても大丈夫だよー」
「わお、準備がいいねぇ。それじゃあ、これをあげようじゃないかぁ」

 そう言って店長が苑の前に出したのは、白い羽が描かれた二本の小さなガラス瓶であった。
 これは中の液体――魔法薬を背中に塗ることで、素材に使用された羽を持つ魔物と同じ羽が生えてくるというモノだ。瓶は全て同じ色、形、大きさのものが使用されているが、素材に使用された魔物の羽はそれぞれ違う。
 つまり、魔法薬を背中に塗るまではどのような羽が生えてくるのか分からないというシロモノなのだ。
 もちろん店長は製作者であるため簡単に見分けることができるのだが、この魔法薬を買い求める者たちはそうそう見分けることができないため、博打打ちが好んで買っていくそうだ。
 ちなみに生えてくる羽は人によってアタリハズレがあるのだが、鳥が苦手だろうと虫が苦手だろうと一時でも空を飛ぶことができるのならば我慢するという者もいるので、それが博打打ちに受けている理由の一つだろう。

「これはどんな羽が生えるの?」
「塗ってみてのお楽しみさぁ。まあ、ヒントをあげるならば片方は天へ、もう片方は花へってところかなぁ」
「……わたしに天が当たらないことを祈っておいてね」
「んふふっ、どうだろうねぇ」

 顔色を青ざめさせた苑が店長を見上げると、店長は意地の悪い笑みを浮かべている。ニヤニヤと、それはもう楽しそうに……。
 人の不幸は蜜の味ともいうが、店長にとっては人の幸福も不幸も全てが蜜の味。つまり何が起きても美味しいのだ。
 苑に渡した魔法薬によって引き起こされるのは幸福が不幸か。どう転ぶかは分からないが、店長はどちらでもいいと思っているのだろう。
 苑は店長から逃げるように二つのガラス瓶を持ち、店の外へと駆けていった。

「さて、天か花か。どちらにしても面白いことになるぞぉ」

 庭に寝転ぶ蒼空のもとへ苑が近づく。ぼんやりと苑と似た表情で空を見上げる蒼空は、苑に気づくと体を起こしその場に座った。
 苑は何も言わず、蒼空の隣に音も立てず腰を下ろす。

「おかえり、苑。店長にお皿を返してきたの?」
「うん」
「そっかー」

 よくできました――と、ばかりに苑の頭を蒼空が撫でる。
 ニコニコと屈託のない笑顔を見せる蒼空は、苑にとって眩しい存在だ。まるで太陽のようだと思ったのは、いつのことだろうか。空を飛びたいと願う双子の弟は、姉と正反対でその明るさと素直さが羨ましいと苑は店長に告げていた。自身も蒼空のようになりたかったと、こぼしていたこともある。
 しかし、双子の姉弟であっても蒼空は蒼空であり、苑は苑。どれだけ憧れようと、どれだけ望もうと、苑が蒼空になることはできないのだ。

「あのねー、蒼空」
「なあに、苑」
「これ、あげる」
「……ガラスの小瓶?」
「うん」

 苑は笑顔を浮かべながら蒼空に店長から貰った小さなガラス瓶の一本を手渡した。もう一本は苑に手にある。

「中に入っている薬を背中に塗ると、羽が生えてきて空を飛べる薬なんだって」
「えっ? そんなのあったの、このお店!」
「うん。店長に聞いたら、これをくれたんだー」
「へえ……。それなら、もっと早く空を飛べたのかもしれないなあ」
「ねー」

 不機嫌そうに頬を膨らませる蒼空を見て、苑は笑った。

「これ、背中に塗ってあげる」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、ぼくが苑に塗ってあげるね!」
「よろしくー」
「任せて!」

 それから二人は交代でお互いの背中にそれぞれのガラス瓶に入った魔法薬を塗りあった。
 五分ほど経ったころだろうか。――蒼空の背中には蝶のような黄色い羽が、苑の背中には鳥のような茶色い羽が生えていた。

「うわぁ、凄い!」
「そうだね」
「ぼくは蝶々で、苑はワシ? タカ?」
「どっちだろう?」
「分かんないけど、かっこいい羽だね! ぼくもそっちの羽が良かったなあ」

 羨ましそうに苑の背中に生えた羽を見つめる蒼空。しかし、反対に苑の顔はこわばっている。
 そんな苑の様子に気づかない蒼空は、早速「空を飛んでみようよ!」と言って自身の背中に生えた羽を羽ばたかせた。
 羽はそれぞれの背中にしっかりと生えているのだが、不思議と違和感はない。ガラス瓶には羽を生やした本人が飛びたいと思えば羽ばたきだし、空へ飛び立つのだとか。けれど行き先は決めることができず、素材に使用された羽の持ち主が好んで飛んでいた場所へ向かうという。
 これが、博打打ちにこの魔法薬が好まれる二つ目の理由だろう。
 ――魔物の羽には持ち主の記憶が宿る。町や村の上を飛ぶもの、森の中を飛ぶもの、平原を飛ぶように移動するもの、花畑を飛び交うもの、海の上を飛び続けるもの。それぞれの生息地や、好んでいた場所などが記録されており、魔物の羽が生えた者は自然とそこへ向かって飛んでいく。
 さて、蒼空と苑の背中に生えた羽は、いったいどこへ向かうのだろうか。

「あっ、ぼくはあっちの方に行きたいみたい」
「わたしは上に行くみたい」
「そっかー。それじゃあ、家に帰ったらどこを飛んできたか教えてね!」
「うん」

 蝶の羽を生やした蒼空は、花畑のある方向へと飛んでいく。
 鳥の羽を生やした苑は、天へ――太陽のある方向へ向かって飛んでいた。
 天か花か。店長が選んだ魔法薬は、なんと酷いモノだろうと苑は思った。

「あーあ。このまま燃えて落ちる運命かあ」

 苑の背中に生えた羽は勢いよく羽ばたき、天で燃ゆる太陽へと向かって一直線。ジリジリとした暑さは少しずつ増していき、苑は自身の髪や肌、爪や服が燃えていくような気がした。
 実際、それらは少しずつ色を変えて黒く染まりだしている。――しかし、不思議と痛みは感じない。
 ボロボロと自身の指先が崩れていくのを目にしながらも、苑は不思議な気分になっていた。
 眼下に広がるのは梅廉国の町並みと、蒼空がいるであろう花畑。我が家は見分けがつかないが、ルメイ堂の屋根はしっかりと目に入る。

「蒼空の代わりにふわふわの雲に触っておくんだったなあ」

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今日もルメイ堂に客ありて
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