カランコココ。店の扉が開く音が聞こえてきた。
「いらっしゃいませぇ」
「おはよう、店長さん。今日もいい天気だね」
「チェーザルじゃないかぁ。君が朝早くにやってくるだなんて珍しねぇ」
「低血圧だから朝は苦手だけど、起きれないとは言ってないよね?」
チェーザルは店長の言葉に苦い笑みを浮かべたまま、カウンター席に腰を下ろした。
「さて、新しい医学書は入っていないのかい?」
「いつもながら唐突だねぇ。残念だけど、次に入ってくるのは来週だよぉ」
「そうか。それは残念だね」
「まあ、薬草は入っているから必要なモノはリストにまとめておいてくれよぉ」
「分かった」
チェーザルはベイリーウス共和国出身の医者だ。学生のころからルメイ堂の常連として名を連ねており、医者になってからも定期的に現れては珍しい医学書や薬草を買いあさっている。
それらは主に自身の専門に関係するモノが多いのだが、中には専門外のモノや医療に関係ないモノも含まれているので、チェーザルがどこを目指しているのか、店長はよく分かっていない。
「ところで智鶴嬢の様子は良好かねぇ?」
「ああ。身体の方はね」
「ってことは、精神の方は危険ってところかぁ」
「ギリギリ保っている状態だけれど、他人と会うことをこれまで以上に避けるようにはなったね」
「あちゃぁ……」
智鶴というのはチェーザルの友人の妻で、現在妊娠四ヶ月。一ヶ月前から出産と子育てのため、実家のある梅廉国へ里帰りしている女性だ。
夫は自国、ベイリーウス共和国での仕事があるため月に数回程度しか智鶴のものにやってこない。本来ならば休職し共に梅廉国に来る予定だったのだが、夫の母――智鶴にとって姑の存在がそれを妨げていた。
智鶴と彼女の夫の出会いは高等学校の卒業旅行で行ったハルステア王国のとある食堂だ。お互い一目惚れだったこともあり、智鶴が留学という形でベイリーウス共和国へ向かい長い恋人期間を過ごした後に智鶴の妊娠が発覚。所謂できちゃった結婚をすることになったそうだ。
二人は元々、付き合い始めたころから結婚する気でいたため、妊娠の知らせは喜ばしいであった。しかし、夫の母は智鶴のことを他国出身の人間であるからと認めなかったという。
顔を合わせれば早く離婚しろ、いつ離婚するのか、息子のことは諦めろ、その胎の子は堕ろせなどなど。智鶴に対して酷い言葉を何度も投げかけてきたそうだ。
智鶴が実家へ戻ったのはそのことが主な理由であったのだが、何故か姑はわざわざ智鶴の実家にまでやってきて嫌味と言いに来たという。それに辟易した智鶴の両親や友人たちの手によって、姑はベイリーウス共和国へと強制送還されたのだが、それでも智鶴に対する嫌がらせは止まらなかった。
妊娠中のストレスは胎児に悪影響を及ぼすと言われようが、姑は止まらない。智鶴の夫が止めようにも、大事な一人息子を取り戻すのだと意気込む姑は自分の可愛い息子の声すら耳に入っていないようだった。
そんなある日、智鶴のもとにやってきたのがチェーザルだ。
専門は内科、神経学を扱っており、その他趣味でいくつかの分野にも手を出している。しかし彼は産婦人科医でもなければ小児科医でもない。妊娠中の智鶴と胎の中の子と関係のない医者が現れたのには、智鶴の両親は驚いたという。
それに対して智鶴の反応は正反対であった。
「智鶴嬢の夫を通じての友人関係と伝えたら、浮気相手ではないかと尋ねられたのには驚いたね」
「その場にはいなかったけれど、その話を聞いた時は思わず笑い転げたよねぇ」
「店長さんは面白いことが好きだからね。でも、あそこまで笑ってもらえるとは思わなかったよ」
「私もあんなに笑うとは思ってもいなかったよぉ。本当びっくりだねぇ」
智鶴とチェーザルは友人同士である。それはチェーザルが智鶴の夫の友人であることがきっかけなのだが、二人は性別の違いなど感じさせず出会ったその日のうちに意気投合しお互いに親友と呼び合うまでになったそうだ。
二人が読書家であったことも仲良くなったきっかけの一つだろう。
チェーザルは読書家、というよりも乱読家であるため、この日も本を数冊片手に持っていた。その中の一冊、薬草と毒草に特化した大判の本は、実は智鶴が以前から欲しいと思っていたモノだったという。すでに読み終わっていたチェーザルが智鶴にその本を貸そうかと提案したところ、目を輝かせた智鶴は彼女の夫がチェーザルに対して嫉妬するほど喜んでいたそうだ。
それから二人は読書という趣味を通じて仲を深めていった。――あくまでも、友人として。
「私としては、君と智鶴嬢の方が恋人同士に見えるんだよねぇ。仲が良すぎてぇ」
「それはそれで嬉しいけれど、彼女はアイツの妻。ワタシの入り込むスキマはあっても、やっぱり子どもの存在が邪魔だなあ」
「あー、君は智鶴嬢に惚れているもんねぇ」
「本当、一目惚れというモノは怖いね」
そう、チェーザルは初めて智鶴と出会った日に一目惚れというものをした。それはこれまで言葉としては知っていたが、体験したことのないもので、チェーザルは自身にそのような感情があったことに驚いたという。
その日のうちにルメイ堂へやってきて店長に相談を持ちかけたのは、チェーザルにとって恥ずかしい思い出だった。
「それで、今日は何をお求めかなぁ? 一昨日も来たというのに、今日も来るなんて君にしては珍しい行動だぁ。何を考えているんだいぃ?」
「ふふっ、やっぱり店長さんにはバレてしまうね。――智鶴を流産させたい。母体に影響のない薬を売ってほしいんだ」
「……それはまた彼女にとって酷いことを言うねぇ」
「そう言うわりには笑顔が見えてるよ?」
「面白そうなことには変わりないからねぇ。それで、どんなタイプをお求めかなぁ? 即効か遅効か。後遺症の有無については安心してくれていいよぉ」
チェーザルは智鶴のことを愛している。それは友人としての親愛と思われているが、その実秘めているのは智鶴の夫――友人から奪い去ってやりたいと思う程度には歪んだ愛情だ。
別に友人が嫌いというわけではない。ただ、友人の妻となった智鶴に惚れてしまったというだけだ。智鶴と友人がどれだけ愛し合っていようとも、友人からどれだけ惚気られようとも、チェーザルは友人を羨ましいとは思えど憎らしいと思うことはなかった。
いや、智鶴を妻にしたということに関しては憎いと思ったこともある。けれども、友人がいなければ智鶴に出会うこともなかった。だからこそ、チェーザルは友人のことを嫌っていないのだ
「それなら遅効性がいいな。彼女をすぐに悲しませたいというわけではないからね」
「ふむふむぅ。それじゃあ、君にはこの香を授けようではないかぁ」
そう言って店長がカウンターの下から取り出したのは、青磁の香炉であった。
「お香かい?」
「ああ、そうだよぉ。香木は伽羅で、智鶴嬢の実家が好んで使用しているモノと全く同じ香りさぁ」
「なるほど。それならば特に違和感もなく気に入るだろうね」
「同じ香りなら、流産したとしても何が原因なのか分からないぃ。そうだろぉ?」
「ええ。ありがとうございます、店長さん」
香炉の中にある香木は最高級の伽羅。店長特製の魔術式が内にきざまれ、いくつかの呪い――優れた魔法使いや魔術師でも見破ることのできない――がかけられたモノだ。香炉自体には壊れにくいように魔法がかけられており、もし壊れたとしてもすぐさま元の姿に戻るようになっている。
通常の香木と同じように香りを楽しむことは可能だが、これは母体に影響を与えず胎児を殺すために作られたモノだ。胎の中ですくすくと十月十日を過ごす胎児を少しずつ弱らせ、最終的にはその命を奪うモノ。
その命を奪われた胎児は自然と母体から排出され死産となる。
これを好んで買い求めるのは体を売り、お金を手に入れる職業に就く女性たちが圧倒的な数を占める。
日々の生活の中で意図せず妊娠してしまった女性たちは、医者にかかるよりも安価で手に入るこの香を使用して堕胎する。主に使用するのは即効性のものだが、この香は後遺症が起きないように作られているため母体への影響は全くない。
そのこともあって、これを求める女性は多いのだ。もちろん、この職業に就く女性でなくとも……。
「無事に子どもを産むことができなければ離婚だなんて、面倒くさい姑だよねぇ」
「本当に。でも、そのおかげで彼女を手に入れることができるのならば儲けものだよ。アイツには悪いけどね」
「ま、堕胎後は精神的に不安定だから、ちゃーんと助けてあげるよんだよぉ」
「ええ、もちろん。いつかここに連れてくるね」
「楽しみにしてるよぉ」
それから一ヶ月後、智鶴は離婚することになったという。
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今日もルメイ堂に客ありて
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